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コーデルは、寝室で待ち受けることに決めた。冬の澄んだ空に月がかかっていて、もう夜明けが近いのか、それともピドナの東に夜通し明るい場所でもあるのか、港の方角はぼんやりと白く見える。
さっき見たあの女性が入ってくる。足音はほとんどしなかった。フェルトの室内履きのまま歩いているのだ。その人物はエルサといい、少なくとも、コーデルを毒殺しようとした刺客の仲間である。外身を潜めて薄暗がりの人影を見ながら、セリーは心臓が飛び出るのではないかと思った。
それを察したらしく、コーデルはセリーの肩をちょっと叩いて落ち着かせた。
コーデルの寝室に無言で入ったエルサは、ためらうことなくベッドのほうへ移動した。ベッドは窓に近い、部屋の奥にある。窓から射すぼんやりした光のせいで、エルサの横顔がくっきりと浮かび上がった。
コーデルはけげんな顔で彼女を見つめた。刺客にしては、彼女には殺気が感じられない。顔つきは上の空という感じで、これから大変な仕事にとりかかろうというのにまるで集中力がない。それでいて、動きには無駄がなく、音もたてず、コーデルの枕元まで近づいた。油断はできない。
ドレスのどこかにしのばせていたダガーが月光にきらめいた。
サクッ。
セリーは、枕の羽毛がふんわりと飛び散るのを見た。
「エルサ、やめなさい」
コーデルは素早くエルサの背後をとらえ、右手からダガーを叩き落した。
「きゃ」
エルサは猫にひっかかれでもしたかのような軽い悲鳴をあげ、その場にしゃがみこんだ。
セリーはここでろうそくに火をつけたが、コーデルは窓の外に何かを見て、「セリー、消して!」と小声で叫んだ。セリーはあわてて吹き消したが、煙が一筋、暗がりにただようのがはっきりと見えた。
ガシン!
エルサのしゃがんだベッド脇の棚に、矢が突き立った。窓ガラスを突き破る強力な弓だ。コーデルはエルサを突き飛ばすようにして窓から離した。セリーはテーブルの下を匍匐前進でとりあえず奥へ進む。矢は尚も飛んできた。3本目がエルサの右腕をかすめた。
コーデルは窓のすぐ下へ飛び込み、気配だけで敵の動きを見計らって立ち上がり、自分の小剣を投げた。
手ごたえがあった。草むらを走って逃げる足音が聞こえたので、コーデルは窓の脇から様子を見たが、相手の姿はすぐ闇にまぎれて消えた。
と同時に、エルサは受けた傷に驚いたようで、うろたえて声を上げた。
「コーデル様! 私はここで一体何を……」
いつものエルサだった。様子がおかしかったのは、一種の催眠術か、薬をかがされていたかだろうと、コーデルはほっとした。
「正気に戻ったのね。先に、傷の手当てを」
「そんな、恐れ多い! かすり傷ですわ。それより本当に、申し訳ございません、勝手にお部屋へ入り込んだりして」
「いいから、血を止めないと、エルサ」
コーデルはエルサの腕をとろうとした。だがエルサは、目の前に落ちているダガーを見ると、さっと青ざめ、ひどく咳き込みながら小声で言った
。
「ダガーが……闇に浮かび、導く……呪われた、王の城へ……」
「エルサさん!」セリーがびっくりして支えようとした。
「離れて」エルサが自ら2人から離れて、ふらつきながら叫んだ。「呪われているのは私だわ」
「矢に毒が塗ってあったのでしょうか?」
セリーがためらって立ち止まりコーデルの顔をうかがうと、コーデルは悲しそうな目で、倒れて痙攣が始まった侍女に静かに言った。
「そうではないわね。このダガーを見ると指示通りに動くように術をかけられていた……そしてこの術そのものが、一種の猛毒なのでしょう」
エルサは、うっすらと涙を浮かべた目でうなずいた。
「コーデル様、お身の上に危険が。家臣の一部が、あの預言者に騙されて、ツヴァイクの王族を名乗り、謀反を企んでおります……」
「予想はついています。あの預言者とは、モレスコのこと?」
エルサはもはや虫の息だった。
「ええ、あの、奇妙な本で……」
まだ言おうとしたが、エルサの唇はそこで止まってしまった。
しばらくの沈黙ののち、「残酷です」と、セリーは首を振って言った。
「そうね」
コーデルはやっとそれだけ答えて言った。セリーが来る前は、年齢が近いせいもあって、侍女の中では一番親しかったのがエルサである。そして名家の出ゆえに、ツヴァイク宮における自分の責任を誰よりも自覚していたのも彼女だった、とコーデルは思う。
「病死と言うわ。彼女が、反逆者だったはずはないもの」
むしろ、知っている家臣が騙されていることに気付き、これを止めようとして逆に罠にかかったに違いなかった。
コーデルは彼女の遺体をソファにそっと寝かせ、その隣に座って、顔を手で覆った。
朝になって、ソロンギルは、夜明け前に庭園で衛兵が刺客らしき男を射殺したと報告した。そのとき衛兵もひとり負傷し、捕らえる余裕がないので殺したのである。そのため刺客が何者であっかは判明しない。ただ、ソロンギルにも思い当たることは十分にあった。
アリエンがとらえたテント社の刺客は、ベント家を狙った。また、ルーシエンを狙った刺客は、獄中で変死。また、メッサーナ女王に謁見を、と言った不気味な詩人が、衛兵の若者を頓死させたことも記憶に新しい。テント社、モレスコ、それに赤毛の女。三者がつながるのは明らかだ。
コーデルが憔悴と憤りの両方を隠しながら、昔からの侍女が急に発作で亡くなった、と話して行ったあと、ソロンギルは、回廊から庭園を見ながら歩いていて、ある日のことを思い出した。
いい庭園ですね、と言って立ち去った、長身の、野生の猫のような若い女のこと。髪が赤ければもっと目立っただろう。それにまた、庭園の一部は解放しているから、外部の者がいても不審ではないのだが、意識して思い出すと、彼女にはなにか、違和感がないこともなかった。
――そうだ、全く足音がしなかったんだ。
「彼女が歩いてきたところは石畳なのに」彼はふと立ち止まり、思わず声に出して呟いた。
さっき見たあの女性が入ってくる。足音はほとんどしなかった。フェルトの室内履きのまま歩いているのだ。その人物はエルサといい、少なくとも、コーデルを毒殺しようとした刺客の仲間である。外身を潜めて薄暗がりの人影を見ながら、セリーは心臓が飛び出るのではないかと思った。
それを察したらしく、コーデルはセリーの肩をちょっと叩いて落ち着かせた。
コーデルの寝室に無言で入ったエルサは、ためらうことなくベッドのほうへ移動した。ベッドは窓に近い、部屋の奥にある。窓から射すぼんやりした光のせいで、エルサの横顔がくっきりと浮かび上がった。
コーデルはけげんな顔で彼女を見つめた。刺客にしては、彼女には殺気が感じられない。顔つきは上の空という感じで、これから大変な仕事にとりかかろうというのにまるで集中力がない。それでいて、動きには無駄がなく、音もたてず、コーデルの枕元まで近づいた。油断はできない。
ドレスのどこかにしのばせていたダガーが月光にきらめいた。
サクッ。
セリーは、枕の羽毛がふんわりと飛び散るのを見た。
「エルサ、やめなさい」
コーデルは素早くエルサの背後をとらえ、右手からダガーを叩き落した。
「きゃ」
エルサは猫にひっかかれでもしたかのような軽い悲鳴をあげ、その場にしゃがみこんだ。
セリーはここでろうそくに火をつけたが、コーデルは窓の外に何かを見て、「セリー、消して!」と小声で叫んだ。セリーはあわてて吹き消したが、煙が一筋、暗がりにただようのがはっきりと見えた。
ガシン!
エルサのしゃがんだベッド脇の棚に、矢が突き立った。窓ガラスを突き破る強力な弓だ。コーデルはエルサを突き飛ばすようにして窓から離した。セリーはテーブルの下を匍匐前進でとりあえず奥へ進む。矢は尚も飛んできた。3本目がエルサの右腕をかすめた。
コーデルは窓のすぐ下へ飛び込み、気配だけで敵の動きを見計らって立ち上がり、自分の小剣を投げた。
手ごたえがあった。草むらを走って逃げる足音が聞こえたので、コーデルは窓の脇から様子を見たが、相手の姿はすぐ闇にまぎれて消えた。
と同時に、エルサは受けた傷に驚いたようで、うろたえて声を上げた。
「コーデル様! 私はここで一体何を……」
いつものエルサだった。様子がおかしかったのは、一種の催眠術か、薬をかがされていたかだろうと、コーデルはほっとした。
「正気に戻ったのね。先に、傷の手当てを」
「そんな、恐れ多い! かすり傷ですわ。それより本当に、申し訳ございません、勝手にお部屋へ入り込んだりして」
「いいから、血を止めないと、エルサ」
コーデルはエルサの腕をとろうとした。だがエルサは、目の前に落ちているダガーを見ると、さっと青ざめ、ひどく咳き込みながら小声で言った
。
「ダガーが……闇に浮かび、導く……呪われた、王の城へ……」
「エルサさん!」セリーがびっくりして支えようとした。
「離れて」エルサが自ら2人から離れて、ふらつきながら叫んだ。「呪われているのは私だわ」
「矢に毒が塗ってあったのでしょうか?」
セリーがためらって立ち止まりコーデルの顔をうかがうと、コーデルは悲しそうな目で、倒れて痙攣が始まった侍女に静かに言った。
「そうではないわね。このダガーを見ると指示通りに動くように術をかけられていた……そしてこの術そのものが、一種の猛毒なのでしょう」
エルサは、うっすらと涙を浮かべた目でうなずいた。
「コーデル様、お身の上に危険が。家臣の一部が、あの預言者に騙されて、ツヴァイクの王族を名乗り、謀反を企んでおります……」
「予想はついています。あの預言者とは、モレスコのこと?」
エルサはもはや虫の息だった。
「ええ、あの、奇妙な本で……」
まだ言おうとしたが、エルサの唇はそこで止まってしまった。
しばらくの沈黙ののち、「残酷です」と、セリーは首を振って言った。
「そうね」
コーデルはやっとそれだけ答えて言った。セリーが来る前は、年齢が近いせいもあって、侍女の中では一番親しかったのがエルサである。そして名家の出ゆえに、ツヴァイク宮における自分の責任を誰よりも自覚していたのも彼女だった、とコーデルは思う。
「病死と言うわ。彼女が、反逆者だったはずはないもの」
むしろ、知っている家臣が騙されていることに気付き、これを止めようとして逆に罠にかかったに違いなかった。
コーデルは彼女の遺体をソファにそっと寝かせ、その隣に座って、顔を手で覆った。
朝になって、ソロンギルは、夜明け前に庭園で衛兵が刺客らしき男を射殺したと報告した。そのとき衛兵もひとり負傷し、捕らえる余裕がないので殺したのである。そのため刺客が何者であっかは判明しない。ただ、ソロンギルにも思い当たることは十分にあった。
アリエンがとらえたテント社の刺客は、ベント家を狙った。また、ルーシエンを狙った刺客は、獄中で変死。また、メッサーナ女王に謁見を、と言った不気味な詩人が、衛兵の若者を頓死させたことも記憶に新しい。テント社、モレスコ、それに赤毛の女。三者がつながるのは明らかだ。
コーデルが憔悴と憤りの両方を隠しながら、昔からの侍女が急に発作で亡くなった、と話して行ったあと、ソロンギルは、回廊から庭園を見ながら歩いていて、ある日のことを思い出した。
いい庭園ですね、と言って立ち去った、長身の、野生の猫のような若い女のこと。髪が赤ければもっと目立っただろう。それにまた、庭園の一部は解放しているから、外部の者がいても不審ではないのだが、意識して思い出すと、彼女にはなにか、違和感がないこともなかった。
――そうだ、全く足音がしなかったんだ。
「彼女が歩いてきたところは石畳なのに」彼はふと立ち止まり、思わず声に出して呟いた。
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