×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
休養しろと言われて陣営内からちょっと離れたスタンレー市街へやってきたヤン・エイは、明らかに東の出身らしい容貌の一団に出会った。話しかけてみると、かれらは家族でパブと宿屋を経営していたが、大平原を通るキャラバンが減って、しかも東の都はふたつともモンスターの巣窟になってきたから、暮らしがたちゆかなくなる前に東に移動してきたんだといった。
ヤン・エイは心底驚いた。兄からたまに手紙がきていて、みんな元気だとしか書かれていなかったからである。元気どころか、玄城が今どうなっているかわからない。
ヤンは、立ち止まって考えると次々に人にぶつかって文句を言われるので、仕方なくパブに入ってほうじ茶を頼んだ。パブの店員は子供がパブに来ても決して感じ悪くしなかった。
「考え事ならあの窓辺がいい。静かだからね」
ヤンの手に陶器のカップを持たせながら店員は親切に言った。
ヤンは教わったとおりに窓辺にいって座り込み、頭を抱えた。あめ色の樫の梁が森の木の枝のように、ちょうど部屋を区切っているように見える。店は空いているし、その席のふたつ向こうにどこかの女旅芸人が当方の弦楽器を抱えて静かに座っているだけだった。
トゥルカスに事情を話して陣営を離脱させてもらおうか?
ヤンはその場合はすぐ手続きできるのだろうかと、義勇軍の要綱がついた冊子を取り出してみた。
しかし、将軍である父はいるし、あの無敵の兄が精鋭を率いて都を守っているはずなのだ。一方こちらは天文台からの報告でいよいよゲートが再度開きそうだと聞いている。本当のところ玄城は無事かも知れないのに離脱してしまえば、いかにも本戦を前に逃げ出していくようでそれも嫌だし、第一、そんな危険な場所にアリエンを置いていくことになる。それは駄目だ。アリエン・クラウディウス姫の栄光あるナイトがそれでは頼りにならない。(とはいえアリエンのあずかり知らぬことである)
そのときヤンの耳に、どこか聞き覚えのある弦の音が聞こえてきた。ふと顔を上げると、さっきから向こうの席にいる女旅芸人が、誰に聞かせるでもなく低い声で歌い始めた。
ヤンはその女の顔をじっと見つめた。この顔も見たことがあるような気がする。けれど、見たとしてもずっと前のはずだし、それなら10年といわず経過している。それにしては彼女は若すぎると思った。
とぎれとぎれに聞こえるその歌は、東方の曲調だが古風な難曲で、昔話のような内容だった。
昔、国の宝である槍を守る姉弟がいたが、王の宝でもあるその槍を持ち逃げしようとし、王を傷つけた。つかまった2人は処刑されることになった。だが、広場に引き出され台に縛り付けられたとき、皆の前で宝の槍が輝き、真相を語り始める。『そこの姉によこしまに恋慕したのは王のほう。弟は姉を守ろうと、唯一の武器であるその槍を使ってしまったのだ』と。日ごろから王の暴虐に怒っていた人々が処刑場になだれ込んだ。騒ぎの中で、弟は王の家臣に刺されるが、姉は槍の守護のよって弟に術をかけた。たとえ二度と会えなくとも、別の世界で人生を生き直すように。
女旅芸人は、自分をきょとんと見つめるヤンに気づいてなぞめいた微笑を浮かべた。
「どうかしたか、少年?」
ヤンは思ったままを言った。「それで、その姉のほうはどうなったんですか?」
「さあね、ただの歌だからね」
彼女は興味なさそうに言い、さらに曲を続けた。目を見張るほどの見事な弦さばき。パブのほかの客たちも静かに聞き入っている。
轟音とともに その王の時代が滅びた
今も伝え聞くは 王国を守護する神の槍の姿のみ
漆黒の柄には七色の螺鈿 きらめく切っ先に雷竜を刻む
パブの店員は、店を出るヤンに声をかけた。
「考えがまとまってよかったな」
「ええ」ヤンは微笑んだ。「ありがとう」
通りに出たところでドンと地面が揺れた。あっと思って陣営のほうを見ると黒い煙が上がっている。ヤンは駆け出した。天文台の予測は当たっていたのである。
本陣まで戻ってみたときには、まだ地震が何度かくる程度で、魔物があふれるという事態にはなっていなかった。ヤンはすぐにアリエンを探した。そしてテントで見つけると、アリエンは手紙を書き終えたところだった。
「自分で行きたいけど、間に合わない。誰かに頼むわ」
「それがいい」
ヤンは、天文台方面に行くという兵士を探すのを手伝った。
「あ、オレです」と、ランス出身のヨアキムがぼそぼそと言った。「従兄弟夫婦がちょうどランスに来るんで、ちょっと挨拶してから行っていいっすかね?」
「いいですけど」アリエンも個人的な用事なので強くは言えなかった。「できれば急ぎでお願いします。アンナさんに確実に、手渡しで」
「んじゃ、預かります」と、ヨアキムは髪をかきあげ、ふにゃっと愛想笑いをして言った。
彼が出発するのを遠くで見ていたアリエンはとても心配そうだった。
しかしヨアキムは意外に馬術が達者で、危なげなく丘を下り、ランス方面へと最短距離を走っていった。ヤンが黙っているとアリエンは小声で言った。
「夢が本当になることを心配してると知れたら、笑われると思うけれど」
「僕は笑わない」ヤンは即答した。「情報がどうしても欲しいと願うとき、それはとてつもない、予想もつかない形でもたらされることもあるんだ」
ヤンは、それを言ってから、照れたように付け足した。「って、ネスが言ってたの」
「そう」と、アリエンは言って伸びをした。そして真顔で独り言のように、「そうよね」
あたりは地震もおさまり静かだった。これから死闘が始まるとはとても信じられないのどかな小春日和だった。
PR
ヤン・エイは心底驚いた。兄からたまに手紙がきていて、みんな元気だとしか書かれていなかったからである。元気どころか、玄城が今どうなっているかわからない。
ヤンは、立ち止まって考えると次々に人にぶつかって文句を言われるので、仕方なくパブに入ってほうじ茶を頼んだ。パブの店員は子供がパブに来ても決して感じ悪くしなかった。
「考え事ならあの窓辺がいい。静かだからね」
ヤンの手に陶器のカップを持たせながら店員は親切に言った。
ヤンは教わったとおりに窓辺にいって座り込み、頭を抱えた。あめ色の樫の梁が森の木の枝のように、ちょうど部屋を区切っているように見える。店は空いているし、その席のふたつ向こうにどこかの女旅芸人が当方の弦楽器を抱えて静かに座っているだけだった。
トゥルカスに事情を話して陣営を離脱させてもらおうか?
ヤンはその場合はすぐ手続きできるのだろうかと、義勇軍の要綱がついた冊子を取り出してみた。
しかし、将軍である父はいるし、あの無敵の兄が精鋭を率いて都を守っているはずなのだ。一方こちらは天文台からの報告でいよいよゲートが再度開きそうだと聞いている。本当のところ玄城は無事かも知れないのに離脱してしまえば、いかにも本戦を前に逃げ出していくようでそれも嫌だし、第一、そんな危険な場所にアリエンを置いていくことになる。それは駄目だ。アリエン・クラウディウス姫の栄光あるナイトがそれでは頼りにならない。(とはいえアリエンのあずかり知らぬことである)
そのときヤンの耳に、どこか聞き覚えのある弦の音が聞こえてきた。ふと顔を上げると、さっきから向こうの席にいる女旅芸人が、誰に聞かせるでもなく低い声で歌い始めた。
ヤンはその女の顔をじっと見つめた。この顔も見たことがあるような気がする。けれど、見たとしてもずっと前のはずだし、それなら10年といわず経過している。それにしては彼女は若すぎると思った。
とぎれとぎれに聞こえるその歌は、東方の曲調だが古風な難曲で、昔話のような内容だった。
昔、国の宝である槍を守る姉弟がいたが、王の宝でもあるその槍を持ち逃げしようとし、王を傷つけた。つかまった2人は処刑されることになった。だが、広場に引き出され台に縛り付けられたとき、皆の前で宝の槍が輝き、真相を語り始める。『そこの姉によこしまに恋慕したのは王のほう。弟は姉を守ろうと、唯一の武器であるその槍を使ってしまったのだ』と。日ごろから王の暴虐に怒っていた人々が処刑場になだれ込んだ。騒ぎの中で、弟は王の家臣に刺されるが、姉は槍の守護のよって弟に術をかけた。たとえ二度と会えなくとも、別の世界で人生を生き直すように。
女旅芸人は、自分をきょとんと見つめるヤンに気づいてなぞめいた微笑を浮かべた。
「どうかしたか、少年?」
ヤンは思ったままを言った。「それで、その姉のほうはどうなったんですか?」
「さあね、ただの歌だからね」
彼女は興味なさそうに言い、さらに曲を続けた。目を見張るほどの見事な弦さばき。パブのほかの客たちも静かに聞き入っている。
轟音とともに その王の時代が滅びた
今も伝え聞くは 王国を守護する神の槍の姿のみ
漆黒の柄には七色の螺鈿 きらめく切っ先に雷竜を刻む
パブの店員は、店を出るヤンに声をかけた。
「考えがまとまってよかったな」
「ええ」ヤンは微笑んだ。「ありがとう」
通りに出たところでドンと地面が揺れた。あっと思って陣営のほうを見ると黒い煙が上がっている。ヤンは駆け出した。天文台の予測は当たっていたのである。
本陣まで戻ってみたときには、まだ地震が何度かくる程度で、魔物があふれるという事態にはなっていなかった。ヤンはすぐにアリエンを探した。そしてテントで見つけると、アリエンは手紙を書き終えたところだった。
「自分で行きたいけど、間に合わない。誰かに頼むわ」
「それがいい」
ヤンは、天文台方面に行くという兵士を探すのを手伝った。
「あ、オレです」と、ランス出身のヨアキムがぼそぼそと言った。「従兄弟夫婦がちょうどランスに来るんで、ちょっと挨拶してから行っていいっすかね?」
「いいですけど」アリエンも個人的な用事なので強くは言えなかった。「できれば急ぎでお願いします。アンナさんに確実に、手渡しで」
「んじゃ、預かります」と、ヨアキムは髪をかきあげ、ふにゃっと愛想笑いをして言った。
彼が出発するのを遠くで見ていたアリエンはとても心配そうだった。
しかしヨアキムは意外に馬術が達者で、危なげなく丘を下り、ランス方面へと最短距離を走っていった。ヤンが黙っているとアリエンは小声で言った。
「夢が本当になることを心配してると知れたら、笑われると思うけれど」
「僕は笑わない」ヤンは即答した。「情報がどうしても欲しいと願うとき、それはとてつもない、予想もつかない形でもたらされることもあるんだ」
ヤンは、それを言ってから、照れたように付け足した。「って、ネスが言ってたの」
「そう」と、アリエンは言って伸びをした。そして真顔で独り言のように、「そうよね」
あたりは地震もおさまり静かだった。これから死闘が始まるとはとても信じられないのどかな小春日和だった。
Comment